女友達に失恋したレズ

ずっと好きだった女友達に彼氏ができた。

相手は、私とその子と三人でよく遊んでいた男子だった。私に報告するとき、「全然甘い感じじゃないよ」「友達の延長だから」と言っていた。

「男と女が二人だけで遊ぶのって、ちょっとアレだから。今まで通り遊ぶために、付き合ったってだけ。」

 

意味がわからない。アレって何。じゃあ私で良いじゃんと思った。

友達の延長なら、わたしの方があの男よりもずっともっと仲良しなはず。

 

私が女であいつが男だから。

 

 

私はあの男よりもっと前から彼女が好きだったのに。周囲から見てもかなり仲が良い方だったと思う。その男よりずっと距離も近かった。

告白しなかったのは、その友情関係が心地よくて壊したくなかったから。その子の他に何人か一緒につるむ子達がいて、私が告白することでそのグループをめちゃくちゃにしちゃうんじゃないかとも思っていた。ていうか告白すれば私がレズだということもばれることになる。怖かった。

 

でもそんなこと全部ほってすぐに告白すればよかった。どうせ大学の友情なんて壊れたってどうとでもなるんだから。いじめが起きるわけでもないんだから。そうしていればこんな惨めな気持ちにならなかったのに。

 

 

むかつく。悔しい。悲しい。みじめ。情けない。辛い。

私にとって彼女は特別で本人も特別ぶっていて、奇をてらった人で、そこがすごく好きだった。

でも、くだらない異性愛規範に飲み込まれていく。「男と女」の「女」に彼女が成っていく。そこに特別さはない。

本当に友達のままなら、それに恋人と名をつけさせた異性愛規範が憎い。彼女がそんなくだらない価値観を持っていたことも辛い。

もし彼女とあの男の間にあるのが友情ではなく恋愛だとしたら(もしくは恋愛に近い色を持っていたのなら)、それをわざわざ「友達の延長」と嘯いた彼女が気持ち悪い。この気持ち悪さは、恋人を「相方」だの「相棒」だのと呼ぶ人たちと同じ気持ち悪さ。

恋愛なら恋愛と言ってほしかった。真実の愛の前に敗北したかった。彼女は私に(二人と近しい友人)に、恋愛色を見せるのは気恥ずかしい、気まずいと思っていたのかもしれない。でもそのごまかしとして、異性愛規範を使わないでほしかった。

ふつうの失恋よりもっとずっとみじめだ。

単に彼女に振り向かれなかったのではない。

男が男であるがゆえに負けた。私が女であるがゆえに負けた。

もしかしたら性別は関係なくて、わたしが男であったとしても(あの男が女であったとしても)負けたかもしれない。でもそれを確かめる術はない。

 

失恋の痛みがだんだん異性愛(者)嫌悪に変化していくのを感じている。異性愛規範の前に散った哀れなレズビアンだと自分を演出したくなる自分がいる(ただ単にヘタレで告白できなかっただけなのに)。間違っているとは思うけど、マイノリティの辛さ、マジョリティへの憎しみに浸るのは、自分に潔白さと正しさが無根拠に与えられるようで何とも気持ちが良い。

 

異性愛嫌悪になりつつあるが、彼女のことは今でも全然好きで辛い。次はレズの人を好きになりたい。